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人類のクリティカル・パスを段階的に時間を経るごとに達成している
進化においては、2つのベクトルがある。
一つは人類の全てを豊かに、その能力を拡張させる方向に向かうもの
もう一方は、より多くの人類を、よりそのリソースをある一部の権力者に
支配可能にする方向に向かうもの
これらはどちらが一方的になるでなく、双方とも進化していくように思える。
それが、フラーの人類の未来に対する悲観とも楽観とも、どちらの意見も
そのときにふれ現れる、その二重性の原因のようにも思える。
フラーはかつて二大政党制を絡み合う巨大な2頭の龍と比喩したと思うが
この二つのベクトルも決して互いが合わさることなく対角線を旋回しあって
その位置と旋回直径を大きくし合う存在のように私には思える。
これから先もそのランデブーが可能かどうかは分からない。
進化においては、2つのベクトルがある。
一つは人類の全てを豊かに、その能力を拡張させる方向に向かうもの
もう一方は、より多くの人類を、よりそのリソースをある一部の権力者に
支配可能にする方向に向かうもの
これらはどちらが一方的になるでなく、双方とも進化していくように思える。
それが、フラーの人類の未来に対する悲観とも楽観とも、どちらの意見も
そのときにふれ現れる、その二重性の原因のようにも思える。
フラーはかつて二大政党制を絡み合う巨大な2頭の龍と比喩したと思うが
この二つのベクトルも決して互いが合わさることなく対角線を旋回しあって
その位置と旋回直径を大きくし合う存在のように私には思える。
これから先もそのランデブーが可能かどうかは分からない。
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自分を大きく見せたいという動機から、ある思想に同一化を
図ろうとする、バックミンスター・フラーについても、
そのような動機でワタシは接している部分がある
それでは、よい成果は生まれないだろう。
フラー自身は著書で何度となく、それを注意深く排除しようと
していたことが見て取れる。
彼にしてさえ、その落とし穴にはまり込まないように
注意を絶えず払わなければならなかったのだろう。
それに対する対処には思考の記述化(=外部化)を絶えず行う
ことが欠かせないはずだろう。
たった今存在した自分の他人化は迷妄の牢獄から精神を解き放ち
効果的に働かせるためには欠かせない。
どれほど陰鬱な世界の予感に捕らわれようとも
自分の子でなくとも、子供たちの存在、ただそれだけで
実在として希望がある、どんなに悲観しようとも
ただそれだけで希望と責任が私達にはある
希望と責任だ
霧は見た目にも完全に浮いているように見える。
そして私は浮いていると思える。
しかし、ネットでも図書館にある本でも、そして学校の教師も
霧の水の粒子が非常に小さくとても軽いので、落ちる速度がとても
ゆっくりで、上昇気流などで浮かんでいるように見えるだとか
ある高さで消えるものもあれば、次々に発生しているものもあるので
一定の高さで浮かんでいるように見えると解説している。
とんでもないことだと思う。
そしてとても醜いことだと思う。
そして腹立たしく、そして悲しいことだと思ってしまう。
電磁的力学で説明しているものはほとんどない。
霧は直感的にどう見ても浮かんでいると、子供は見抜くのに
それを大人達があらゆるでたらめのこじつけで煙に巻こうとしているのだ。
なんと醜悪なことだろう。
2人以上集まって、ある仕事を成そうと互いにその為に
試行錯誤と会話を行うとき、容易にその仕事に対する自己組織化が
現れ、みるみるうちに効率的な体系が出来上がるのを体験することができる。
同じことを自己の思考の物理的アウトプットによる
自己の客観化(=他者化)によって、ある独りの頭の中でも
自己組織化という、誰もが見とれるはずの、「よい事」が起こせると思っている。
日誌は適切に作成し続ければ、精神的に健康であれば誰にも
思いもよらないほどの自己組織化を成し遂げるツールになるはずだ。
法律とは「禁止」「強制」である。
そして、そのシステム内では大きく2つの要素に分かれる
「原則としての禁止」と「その例外」である。
権力側はその両方を巧みに用い、我々大衆には「原則としての禁止」で抑制し
彼らは「その例外」というバックドアで実質フリーでその行為を行う。
彼らは法律には実質縛られない、法律とは彼らが他者を縛るためのものである。
螺旋軌道をとれば、直線的に対象を動かし得ないほど力が必要な場合において
直線的な力に比べて、ずっと小さい力で回転軸の方向に直角に動かすことが可能だ。
つまり螺旋はプリセッションの働きを発揮するモデルの一つだ。
マスコミで流される情報もその中には多分にプリセッションの働きを意図した
物に思われる。
表面的な力の渦の回転に翻弄されると副次的な緩やかに見えるが
着実かつ大きな力を見過ごしてしまう、大衆のほとんどは…
しかし、情報を編集し流す側の真の意図はその何次にも寄り合わされた
螺旋の重なりの副次的な軸方向にこそある。
それは個人的な形而上的な仕事にも応用可能であるし、そうでなければならない。
彼らが私たちを動かすためにその技術を使うなら、
私たちも私たちそれぞれの現実を動かすために(それはまず最初に自らを動かすということ
に他ならないのだが)使うべきだし、そうでなければ、それらの技術を身につけなければ
彼らに動かされるのみだろう。
幼児は年齢が低いほど、産まれたてに近いほど
成人が四六時中抱いている雑念や妄想とは無縁なので
マインドが働く時間が大部分となる。
成人になってからマインドを働かせるためには
仏教のある部分の修業方法が効果的だろう。
雑念や妄想は他者からの概念の強制的入力や自己保身の動機
から起こる感情の現れから起こる。
何も悪感情を想起しない瞑想の時間を取ることは
それだけでも価値がある。
逆に言えば悪感情が自らに起こす悪影響は計り知れない
マインドの働きを妨げるのは、日々私達の頭に想起し続ける
妄想(恨み、怒り、不安、騙す、自分の利益だけ考える、羨む、妬む)
だろう。
よって何もしないと雲霞のごとく湧き続ける妄想を行う
精神活動システムを調整するテクニックの実践が必要になる。
