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私のブログにバックミンスター・フラーもしくはジオデシックドームを
検索してたどり着いた人がこれまでも何人もいたが、真に知るためには
梶川泰司氏のブログ 犬のしっぽブログ http://two-pictures.net/mtstatic/
を読むことをお勧めする。
はっきりいって私のブログの内容は梶川氏のブログを読んで、それを自分なりの
理解で触発された内容を書いているだけなので、本質をつかんでいるとは言いがたい
からだ。
ある意味、自分に向けて書いているというのが目的からすれば半分ある。
であるから、バックミンスター・フラーやシナジェティクス、デザインサイエンス
ジオデシックドームやテンセグリティ、テンセグリティドームについて
私がこのブログに書いている内容は文字情報を自己流に改変した劣化コピーともいえる。
ただ、だからといって自分の思考は現にこの文字に表されているし、そのことを
多くの人の目に触れえる状態に記録・公開すること自体は意義があることだと思うし
興味があって、やりたくてやっているので、この行為自体は私が主体的にやっていくし
これからもそのつもりであるのだが。
例え全くの的外れで滑稽で、自意識過剰な自己肥大な姿を晒そうとも
それにおびえて何も書かないのは全くの愚かなことだと確信しているから。
全体最適か部分最適か
宇宙の全体最適はある会社の全体最適(宇宙の部分最適)
と重なることは稀なのは、会社勤めをした人間なら容易に理解できるはずだ
(どの会社にも必ずといっていいほど、会社全体の利益が
ある部署の利益、ある社員としての利益
に攪乱・分割・収奪される現象で溢れ返っている)
ビジネスで利益を上げる為には必然的に部分最適をなすことになる。
全体を理解出来なければ全体最適など行いようがないのだが
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バックミンスター・フラーは生前に非常に多くの著書と自らの肉声とそのときの姿を
ビデオに撮らせて保管した。
彼の死後、肉体は滅び、もう新たに意見を表明することはないが、その影響は
死後30年経った今、より大きく世界に影響を与えていきつつあるように思う。
まるで水面に投げ込まれた石が底に沈んでしまった短い時間の後、長い時間に
渡って広範囲に波紋として行き渡っていくのにそっくりだ。
もちろん、人類の危機と現代の情報革命の状況を見越して、彼はあのように
映像としてもストックを残したのだろうことを確信する。
ネットの中では彼の思想は反復して影響を与え続けるだろう。
そして危機が如実になるにつれ、その説得力を増していくだろう。
繋がらなければ組織化できない
組織化できなければシナジェティクスの奇跡に見とれる機会はおとずれない
まず繋がること
進化は常にマイノリティーから生まれてきたと考えれば
少数は多数に裏返る。
なぜなら多数は今現在の環境に最も適応しているからだ
そして環境は常に変化し、大変動が予期されている場合
多数に加わるのは最もリスクのある選択だろう。
斥力と引力、圧縮力と張力がバランスをとると物質と呼ばれる
状態になる。
テンセグリティはそのモデルなのだろう。
非物質の物質化、それはその逆も同時に表している。
森羅万象、もちろん私達自身の肉体さえ非物質の力の均衡から
出来ているということだ。
物と力は別のものではない、同じものなのだ。
テンセグリティモデルはそれを表しているのだ。
渦巻にある中心はそこにまるでピンが止めてあり、動かない点
という概念ではないように思う。
ある系とある系の相対性において見かけ上そう見えるということではないか?
中心と見えるだけでそこが互いの系から動かないように見かけ上
見えるだけなのではないか
それとも、異なる系と系をある点で固定するある原理が自然には
あるのかもしれない。
貨幣と富の概念の間違いが、現在の社会の問題の根源にあるように思う。
フラーの言った、彼の言う「富」、つまりそれ自体が人間の生存、繁栄に役立つもの
と言う概念を共有する人口が増えれば増えるほど、今までの欺瞞は露わにならざるを
得なくなる。
私には、現在のマスコミで決まりきった建て前である欺瞞は
ウェブの個同士のコミュニケーションの増大の前に、崩壊寸前のようにも思える。
そして、それを一度で核心を理解させるのは、芸術と技術と科学を
一体化した、新しい何らかのアイコン、若しくはそれを作成する人だろうと思える。
子供が圧倒的なスピードでドンドン成長するのは
世界を、宇宙を信頼しているからだろう。
大人の成長スピードが一般的に鈍化、もしくは停滞、退化するのは
宇宙への信頼が減少、もしくは不信にとって変わられるからだろう。
信頼すれば、行動し、不信に捕らわれるほど滞留する。
不信は自らへも向けられる、この場合の自分はたった今までの過去の自分だ。
そして過去の自分も、他者としての「世界」に含まれる。
自分を信じられないというのは、自分という他者を信じられないということだ。
商売で利益を上げる為には世界を理解する視野を
ある範囲に限定することを必然的に含む。
利益を最大限に上げようとすると、その主体に富を集めるため
宇宙全体の理解の追求も、それから導かれるはずの最適解を
得ようとする試みも止めなければならないし、相反する行為になる。
ビジネスという行為はその本質的に利己的な性質のため
宇宙全体の理解への認識を阻み、ごく限られたデフォルメされた
至極単純な世界観・システムを個人に強いる。
自分をよりよく知ろうと考えこんでも、世界を知ることはないだろう
旅をすればするほど、世界をよりよく知ることになるだろう
同時に自分をよりよく知ることにもなる。
部分から全体を推し量るのは困難だが、全体から部分を理解するのは可能だ。
