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今の時期はまだ広葉樹は葉をつけていないものがある。
よって幹と枝だけの裸なので、そのフォルムはよく観察できる。
そのフォルムと沢や川が地表を流れるときになすフォルムとは良く似ている。
枝の先端が細く、根元にいくほど太くなり、ほかの枝と収束し合流していくのは
まるで水の流れが合流し、しだいに大きな川の流れになって海に流れ込むようだ。
なにか共通の原理が両方に働いていると思う。
山の沢は麓から山頂に向かって引かれたラインではあるが、同時に
日中は下から上に、夜間は上から下に気流を生み出し導き、収束する煙突ともいえるのではないだろうか?
霧が発生しているところは、ある場合にかぎり、上昇気流が起きている、その流れを可視化していると
いえると思う。
太陽光を動力として山間地は自然の換気システムを備えているのではないか?
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斥力と引力、圧縮力と張力がバランスをとると物質と呼ばれる
状態になる。
テンセグリティはそのモデルなのだろう。
非物質の物質化、それはその逆も同時に表している。
森羅万象、もちろん私達自身の肉体さえ非物質の力の均衡から
出来ているということだ。
物と力は別のものではない、同じものなのだ。
テンセグリティモデルはそれを表しているのだ。
渦巻にある中心はそこにまるでピンが止めてあり、動かない点
という概念ではないように思う。
ある系とある系の相対性において見かけ上そう見えるということではないか?
中心と見えるだけでそこが互いの系から動かないように見かけ上
見えるだけなのではないか
それとも、異なる系と系をある点で固定するある原理が自然には
あるのかもしれない。
バブルで金はどこに消えたのか?という問いに
「お金が蒸発した」という人物は一切信用してはならない。
そういう人物は決まってバブルの生成は市中の参加者、つまり大衆の
欲望のせいにしたがり、銀行、特に中央銀行の通貨供給に関する
こと、貸し出しと回収のバランスがバブルの造成と破綻を
演出していることを指摘すると、あらんかぎりの罵詈雑言で
やり込めようと目の色を変える。
結局シカゴ学派の系譜の子供達はペテンを大衆から誤魔化すこと自体が
存在意義なのだ。
中世の教職者のように。
人間の脳細胞もそれ自体、一個の細胞としての振る舞いは
とても単純なものだが
それが300億個集まると現代においても解明されない
複雑な精神活動を司る器官になる。
下位レベルの個々の活動の記述からは予測できないの代表的なものと言っていいだろう。
昨日の自分と今日の自分は同じではない。
経験の量とそれに伴う思考により人格が変化している。
それは人格を道に置き換えることに似る。
5分前に通った道とそこから進んだ現在の地点は
同じ「道」と呼ばれるが見える景色も、そこから進める経路も
地形も異なっている。
私達はたった1日でも一時間でも経ち、経験を積み増せば
同じ人格とは言えない、常に変化している。
光も電磁波だ。
電磁波は電波と磁波が知恵の輪のように直角に交差して
いると言われるが、これも二つの要素が互いに引き合いながら
旋回していると言えると思う。
二つのらせんが直角な角度を維持しながら絡んでいるようにも見えるだろう。
それを2次元的に写し取れば、教科書的な波形を描くグラフとして表されるだろう。
そういうわけで、フラーがコズモグラフィーで述べたように、宇宙では
厳密な「直線」で運動するものが「ない」以上、「直線」なるものもない。
私達が「直線」と捉えるものは、認識の大まかさと概念上にしか存在しないことになる。
また同時に相対性からこの世に完全に「静止」しているものはありえず、常に「動いている」。
「静止」とはたまたまある系とある系の「関係性」の一つの組み合わせにすぎない。
もしくはどんな要素も「静止」であると同時に「運動」していることになる。
全ての物質は「引力」と「斥力」が働いているので、それぞれがそれぞれに
引き合いながら弾きあうため固定されることがない、一見固定されているように
見えても別の系からのリンクにより系全体が動いている。
常にバランスをとろうとはするが、その均衡が固定的にとられることは決してない。
