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昨日、久美浜にも行ってきました。
豊岡から10分ほどできれいな砂浜に行けます。
風が強かったですがいいかんじです。


コウノトリの巣を乗せる塔の上に一羽いるんですが
小さくて分かりずらいでしょうか。

飼育場の中です、棚田のようなビオトープがあります。

近くにサギが色々な種類、エサを求めて止まっていました、
コウノトリとの違いがよくわかります。

コウノトリです、沢山います、飼育員がエサをくれるのを
待っているようです。
他に飛び出す個体は少数のようですね…。
法律とは「禁止」「強制」である。
そして、そのシステム内では大きく2つの要素に分かれる
「原則としての禁止」と「その例外」である。
権力側はその両方を巧みに用い、我々大衆には「原則としての禁止」で抑制し
彼らは「その例外」というバックドアで実質フリーでその行為を行う。
彼らは法律には実質縛られない、法律とは彼らが他者を縛るためのものである。
螺旋軌道をとれば、直線的に対象を動かし得ないほど力が必要な場合において
直線的な力に比べて、ずっと小さい力で回転軸の方向に直角に動かすことが可能だ。
つまり螺旋はプリセッションの働きを発揮するモデルの一つだ。
マスコミで流される情報もその中には多分にプリセッションの働きを意図した
物に思われる。
表面的な力の渦の回転に翻弄されると副次的な緩やかに見えるが
着実かつ大きな力を見過ごしてしまう、大衆のほとんどは…
しかし、情報を編集し流す側の真の意図はその何次にも寄り合わされた
螺旋の重なりの副次的な軸方向にこそある。
それは個人的な形而上的な仕事にも応用可能であるし、そうでなければならない。
彼らが私たちを動かすためにその技術を使うなら、
私たちも私たちそれぞれの現実を動かすために(それはまず最初に自らを動かすということ
に他ならないのだが)使うべきだし、そうでなければ、それらの技術を身につけなければ
彼らに動かされるのみだろう。
以前から古代ローマ帝国がなぜあれほど、現代と
変わらないほどの社会制度の複雑化、組織化が洗練されていながら
(政治的、社会的な登場人物とそのエピソードを現代の産業社会の
成果物でラッピングしてもなんの遜色もないほど、同様なことが
繰り広げられた)
自然科学での画期的な発展が皆無なのか不思議でならなかった。
(社会的な経済規模で言えば比べ物にならないギリシャの都市国家が
その何百年も前に成し遂げた科学的発展に比べてあまりに少ない)
その原因が今読んでいる「コズモグラフィー」に書いてある
ローマ数字の権力機構の強制による、著しい計算の非効率にある
という記述を読んで、長年の疑問も氷解したように思う。
数字の記述の影響は全体の効率に莫大な影響を与えるということ
そして、今、私達の置かれている状況もある意味同じとも言えるかもしれない。
形は力のもう一方の見方であり、力は形のもう一方の見方だ。
トリムタブとはタンカーなどの巨大な船の舵を動かすための
その舵についた更に小さな舵のことだ。
船の向きを変えるのは舵という船体から比べればごく小さな梃子だが
船自体が巨大ならその舵も巨大だ、よってその舵自体の向きを変えるために
それよりも小さい舵をつけると、元の舵も動かせるようになる。
トリムタブ自体を動かすために更に小さな舵をつける、その舵にも更に
小さな舵をつける・・・・・・これを繰り返すと原理的にはごくわずかな
力でも巨大な船の向きをも変えられることになる。
この地球に住む60億を超える人類の方向性を変えることは、10個の
トリムタブを連結すれば、一人のか弱い人間にも行えうるということだ。
あるグループの方向性を変えるためには適切なある割合の人間の方向を変えれば
可能になる、仮に1割の人の考え方を変えられるなら十分に可能だろう。
60億の内の1割、6億人の方向を変えるためにはその内の6000万人の方向を
更にその6000万人の方向を変えるためには、その内の600万人の方向を
更にその600万人の方向を変えるためには・・・・・と繰り返せば。
但し、その変えるべき人物は適切に選ばれた場合に限るということではある。
そして、人物を対象にすればそうなるが、システムを対象にすればまた話は
変わってくる、より個人が行える、影響を与えうる自由度とその可能性は高まると思う。
フラーのクリティカル・パスを読んで世間一般の職業をこなせる人はすごい。
どうやって自分自身を納得させられるのだろう。
お金を得ることと「仕事」をどうやって矛盾させずにできるのだろう。
すべきことと、しなければいけないことをどうやって一致させることができるのか。
森羅万象の進化の幾何学的なシステムの根本要素がテンセグリティなのだろうか。
シナジェティックを相乗効果の幾何学と訳した文章を読んだが
なるほどと思う。
進化は幾何学的な形の相乗効果を起こす、そもそもそれ自体を進化と呼ぶのだろうか。
少なくとも人類のテクノロジーの進化は幾何学的な相乗効果のように見える。
プリセッションは人と人との間にもあるようだ。
互いの思惑なしの互いの意見を聞き、読み
その後の自分頭の中に浮かんだ思考を表明する。
互いに相手の言う通りにしようとか、言うことを聞かそうとか
そういう直線的な圧力から自由な状態でこそ「触発される」という現象が生まれるのだろう。
