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張力と圧縮力が働くためには


ある2点とその間をリンクする「材」の存在が必要だ


2点間の間に引力が働けば、その間にある「材」には「圧縮力」が働き


逆に斥力が働けば、「材」に「張力」が働く


もしくは「材」だけの存在を設定してもよい


その場合「材」の両端が2点間となる


「材」は両端の2点間の距離を保持しようとする働きをするものと定義する





太陽の周りというべきだろう。

太陽の下という表現は同時的に延々と続く地上という概念とセットだ。

地球という形状の理解なしに飛行機のパイロットは目的まで
飛行することは不可能なように、全てがつながり、全ての
影響が何がしかで返らざるをえない小さな宇宙船という
認識が無意識レベルまで共有されない限り
望ましい場所まで操縦することは不可能だ。
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私が小学生のころ、マスコミはソ連に代表される共産陣営が
資本主義陣営を上回る軍事力で今にも攻めいってくるかのように
報道、映画、マンガ、アニメ、小説、ありとあらゆるメディアで喧伝した。

しかし、実態は圧倒していたのは資本主義側で、共産陣営は
いつ攻めこまれるかと怯えていたのだ。
足元を見透かした資本主義側の青天井のポーカーにつきあわされた
ソ連は、手札を広げる前に掛け金が底をつき、バーストした。

それでも人々は、そんな事実を忘れさり、マスコミを信用し
踊らされ続けている。

新型インフルエンザも何事もなく、経過しているが、その事実を
検証しようとは誰もしない。




客観的な視点を持つ為には、「外」から見なければならない。

一番手軽なことは手近な山に登り、自分達が住む街を30分眺めて見ることだ。

普段より100mの高さからの視点は、文字通り、形而上からも
客観的な思考を、「外」の存在を、あなたにもたらすに違いない。




斥力には、遠心力も含まれる、圧縮材を圧縮することから
生じる応力もそうだ。

フラーは放射という概念で表している。
引力と斥力の2つがバランスを取ってこそ、テトラができる。



テトラ構造で斥力と引力が拮抗するから成り立つのではないか。

引力が勝り続ければ、空間が内に引き込まれ続ける
つまりブラックホールになるのではないか。




但馬に限ったことではないんですが、昨今山間の田舎が限界集落だとか過疎化だとか


ネガティブなことばで日々マスコミで取り上げ、形容されています。


 


しかし、耕作放棄地と呼ばれる田畑を見渡すと「もったいないな・・・」という思いにとらわれます。


確かに昨今の農業ではやり方・売り方(マーケティング)を的確にしないと利益はこの但馬の


耕作放棄地では望めないとは思います。


 


しかし、この誰も見向きもされなくなった土地でも労働力の投入で食料という「富」を生み出す、


命をつなぐことができる、ある意味工場設備のようだと、すすきが茂った棚田を見て思います。


 


農作業小屋とすれば、都市計画法の区域外であるほとんどの耕作放棄地でDIYで住居を建てることも


可能です。


工夫次第で100万円ほどでも最低限の生命を養う環境(=シェルター)を個人で持つことも可能なのです。


 


作業小屋も建て放題、木工・鉄工し放題のある意味夢の環境でもあると思います。


 


現在の都市生活(田舎でも状況はあまりかわりませんが)では金銭を得ないと即生活に困窮してしまう


ある意味、ラットレースのねずみ状態に大多数の人達が置かれていると思えます。


 


自然で金銭を稼がないと餓死してしまう生物はいません。


人間も自然のなかで生きている生物なら「生存のための」ダイレクトなベクトルの行動を起し続ければ


生命を保ち、次の世代をはぐくむことができるのではないでしょうか?


 


少なくとも、貨幣経済に100%足場を置くのではなく、たとえ数パーセントでもそれ以外の自立の


リソースを持つ行動を行えることに山間地の価値が見出せるのではないかと思います。





ここ数ヶ月の間、ある人のブログを読むことにハマっています。
その人は前にも書いた梶川さんという人のブログなんですが
非常にユニークで感心することや気づかされること、全く知らなかったことが
読めて大変面白いです、さすがフラーの晩年に認められた
ことはあると生意気ながら納得することしきりです。
ただ今の社会に対する批判の態度が少し引っかかるんですが…
そんな事をしても全く意味がありません、フラーにしても
自分の主張の説明のため、という範囲は超えなかったと思います。
新たに提示したライフスタイルが理にかなっていれば
例え社会的な抑圧があっても、それを見習っていく人達が
増えていくはずだと思いますが、理想論に過ぎる非実践者の私にはそんな
ことを言う資格があるのかと聞かれれば…