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さて第2弾「〃」はなんと入力すれば出るでしょうか?



昨日の読み方は、ないそうです。
々は漢字ではなく記号なので読みはないのですが
変換のときに出すのには「どう」と入力すればでます。

結講知らなかったり迷った経験あるかたいたんじゃないでしょうか?
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なぜ、フラーの言及した意味でのライフスタイルが広まらないのか?


信奉者と言われ、ジオデシディックドームを建築した人達が


過去にも数多いたが、なぜ広まらず、一部の特例としてしか


現れないのか?


 


なぜ、ドームが建てられたがいいが、放置されている例が多いのか?


 


技術的な稚拙さや、テクノロジーの不十分な理解など色々


要因は挙げられるだろうが、最大の原因は


フラーのように最大公約数のために考え、実行することが


みな、出来ないからではないか?


 


いざ、自分のドームを建てる段階になると利己的な事情を優先してしまう


もちろんそれは当然といえば当然と言えるのだが、


そのことが、われわれとフラーとのパフォーマンスの違いではないのだろうか?


 


利己的な動機はその背後の恐怖によって支えられている。





私達の肉体は、この地球、バイオスフィアという巨大かつ複雑な原子の


レゴブロックから、この時、この場所に組み上がった全体の一部と言える。


 


 


その中でフラーの言及する「マインド」という一種のソフトウェア・プログラムが


活動して、人類の進化・ひいては地球の創造の一部を担っている、


それが人類の存在目的なのだという。


 


マインドはマインド自体では存在しえない、それはソフトとハードウェアの


関係と同じだろう。


 


フラーが自分の存在を「動詞」と例えたが、私達も同じことなのだ。


 


皆、生きていれば必ず老いていくし、死は生まれたときから


必然に皆に訪れる。


 


問題は何を「する」か、だが、すべきことは明らかになっている。






結構な勢いで雨降ってます。
こりゃ海もダメでしょうね…残念。但馬 観光-090809_1047~0001.jpg
但馬 観光-090809_1047~0001.jpg



雨です、あいにくですね。

夏が終わりそうです。但馬 観光-090809_0809~0001.jpg




商売で利益を上げる為には世界を理解する視野を
ある範囲に限定することを必然的に含む。
利益を最大限に上げようとすると、その主体に富を集めるため
宇宙全体の理解の追求も、それから導かれるはずの最適解を
得ようとする試みも止めなければならないし、相反する行為になる。

ビジネスという行為はその本質的に利己的な性質のため
宇宙全体の理解への認識を阻み、ごく限られたデフォルメされた
至極単純な世界観・システムを個人に強いる。



自分をよりよく知ろうと考えこんでも、世界を知ることはないだろう

旅をすればするほど、世界をよりよく知ることになるだろう
同時に自分をよりよく知ることにもなる。
部分から全体を推し量るのは困難だが、全体から部分を理解するのは可能だ。




人体がテンセグリティ構造で骨や筋肉、皮膚などの骨格を形成しているのは
比較的よく語られているようだ。


そのことを無意識的に体得していたのは実は武術の達人と呼ばれる
少数の人達ではないだろうか?

闘争の手段であるはずの武術も身体操作の模索を通じて、
人体というテンセグリティ構造の理解にまで至ると、そこに
魅了され、他者との闘争よりも、取り巻く世界との統合という
ニュアンスの意見を、何故か古今東西の武術の達人は言及するように思う。

テンセグリティモデルの自作という体験がシナジェティクスを
理解する道筋だとすれば、彼らは自らの身体というテンセグリティモデルを
脳を使って様々に動かすことで構造を理解していったと思える。

武術的技術はトリムタブ的発想に溢れている。
ただ、ごく最近まで武術という他者との闘争を目的とするジャンルのため
その技法の存在自体さえ隠匿されてきたというアンビバレンツな状況にある。
現在はネットの普及でそれ以前では考えられないほど情報が
簡単に手に入れられるのではあるが。



気分転換によく近くの山に登る。





登るといってもアスファルトで舗装された道を車で行くだけだが。





一日に一台も通らないようなところにも地元の建設業者に仕事を


与えるために道を通す、そんなことも全くな無駄になるというわけでもない。





いつもと100m高い視点に立つだけで、普段の景色も全く違って見える。





山の斜面を駆け上がってくる風を感じると、山のフォルムとその大きさを


直に感じられるようで、非常に面白い。





本当の奥山は決して人の安住の地でもないこと、不安を感じさせる


ものであることも、一人たたずむと肌に染み込むように感じる。





そんな寒さを感じて車の中に戻るとホッとする。


車の中も外界からか弱い人体を守る「シェルター」だと実感した。