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子供は楽しそうなこと、面白そうなこと、変わったことをしているころに
すぐに集まり、即「共振」していっしょに楽しむ。
子供は大多数の大人のように「経済的」な損得、社会的に植えつけられた
恐怖にまだ削られていないので、「感度」がすごぶるよく、またその後の
行動までが直結していて「つっかえ」がない。
「大人」と「子供」の一番のちがいはこの「共振」のしやすさのちがいでは
ないだろうか?
「直角の」副次的な働きも人と人との「共鳴」「共振」に現れる。
強制的なあからさまな「宣伝」や「強制」よりもはるかに強く、
また広範囲な影響はこれによって現れる。
「触発」という現象もこれで説明できるだろう。
プリセッショナルな影響はエゴのフィルターを通り抜けやすい、
批判や恐怖などの価値判断などは「意識」されないと働きにくい。
プリセッショナルな働きは社会的にもまだ認知されているとは
いいがたい、よって、人々は無自覚に影響されるが
これは非常に強力なシナジー作用をもたらす可能性がある。
物事は長期的な視点に立つほど、当事者が意図した「直接的な」影響は
消えてしまい、その意図した行動がもたらす「副次的な」影響こそが
主目的なベクトルから直角な動きで周囲に広範囲に影響を与え続ける。
フラーは水面に石を投げこむことでモデル化して分かりやすく
説明していた。
石は上から下に動くが、その動きと三次元で直角に水面に波紋が
石が静止した後も周囲に広がり続けている、時間的にも空間的にも
副次的な波紋が広範囲かつ長期的な影響を与える。
このプリセッショナルな働きを小さくとも、効果的に配置すれば
とてつもない働きを起こすことも可能なのではないか?
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「私というのは、動詞のようだ。」
バックミンスター・フラー
私達の体を構成している材料である原子は森羅万象と融通しあっている
実質共有材とも言うべきものだ。
だとしたら、個人を個人たらしめているのはその活動内容だと言える。
要は生きて、何をやったかが「その人」の全てなのだ。
テイラーが始めた知識の仕事への適用は莫大な富と、産業社会の
発展を加速したが、未だに中小の工場の生産現場では
未だに管理者の経験からくる熟練した技術、個人の資質に
頼っている。
これだけ情報が容易に流通する社会においても、成果を上げる本質は
伝達しにくいようだ。
私の祖父母の30代の働き盛りには 牛で田畑を耕していた
牛は毎日世話をする時間、餌としての草の調達に多大な時間を費やしていた
食事も火を起こして作っていた、その調理の時間もかなりのものだ
洗濯も手で洗っていた
現代の私達はそれらを機械で代理させることで何十分の一、何百分の一の
労力で生活を維持できているのだが、なぜだかその生活を維持するために
朝から深夜まで、休みなく働いている。
圧倒的に私達の生活を維持する「富」やサービスの生産が容易かつ
量的にも豊富になったのにも関わらず。
これで誰かが、何かがその「富」を搾取していないと思うほうが
どうかしている。
ラウンドアップという除草剤がある
全国どこのホームセンターにいっても必ずといっていいほど
売っているものだ。
これが日本で広まったのはごく最近のことだ。
このラウンドアップとこの薬が効かない遺伝子操作された
新種のサトウキビとが組み合わされば、エコロジーに
かなう希望の技術と見なされがちな不耕起栽培も
いきなりきな臭くなる。
ラウンドアップを開発したのはモンサント社というアメリカの大企業で
この会社は枯葉剤を開発しベトナム戦争で巨利を得た。
これがただの偶然であればどれだけいいかと思う。
確かに受け入れる態度の人間は、対象の概念を無意識にでも
自分の意見として認識して、自らの発案のように話すことは
日常でもとてもよくある出来事だ。
しかし、それは人間社会ではごくありふれすぎたことであるし
影響力のある人物ならそんなことは、それこそありふれすぎる
くらいありふれたことだろう。
そもそも、描写の模倣は咎められずに概念の記述の模倣は
なぜ咎められるのだろうか。
そもそも、概念の伝播と呼ぶべきものを単に模倣と
断言してしまう恐れがないだろうか。
直感からの共感と単なる模倣を分け隔てる判断基準はなんなのか。
マインドは自己保身のための内容の精神活動が活発な時は
働かないようになっているらしい。
別の事象の関連を認識する高次な感受性は
