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もちろん電力線が長ければ長いほど電力は送電中に抵抗として損耗量が多くなりロスがでますが、


大陸間で電力ネットワークをつなげれば、となりどおしですこしづつ不足分を余剰で融通しあうので


実際に地球の裏側からの電力を送電するということにはなりませんので、その送電ロスは


ネットワークを接続することから得られるメリットで相殺されるどころか、メリットの純利部分が


多大になることが予想されます。


 


今でこそ現実味もあろうこのアイデアもフラーは何十年も前、米ソが冷戦で対立しているときから


提唱していますし、その当時の科学技術でも即実現できるアイデアばかりです。


 


フラーの提案の基本は、格段に少ないエネルギーで文明社会の生活水準を維持、もしくは


より快適に人類が暮らすためのアイデアということがいえると思います。


 


フラードームしかり、電力グリッドの概念しかり、地球が太陽光から受けるエネルギーの収入の範囲内で


人類は永続的に発展していける(効率的な社会の”デザイン”があれば)というのが彼の主張のようです。


現代の石油に依存した社会は言ってみれば過去何十億年に渡って地球が溜めてきた炭素エネルギーの


缶詰=太陽エネルギーの缶詰=エネルギーの貯金を、この数十年で一気に使い果たしてしまうほどの


スピードで浪費した結果であるとも言えます。


しかし、フラーは日々地球に降り注ぐ太陽エネルギーの収入だけでも、効率的な人類の生活スタイル


のデザインの創造によって成し遂げられるとするものです。





続き

例えば、ロシアとアメリカはものすごく離れているように思えますが
ベーリング海峡を挟んで国境を接している隣接した国どおしです。
この海峡を互いに電力線で繋ぐだけでアメリカ大陸とユーラシア大陸を
網羅する電力ネットワークが出来上がります。
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ブッダとフラーは、個人がそれ自体をも含めた全てとしての
宇宙を理解するベクトルに人間の精神を働かせることを
主張している面で非常に共通性があるように思う。
悟りとは悩みがないとかいうことではなく、包括的に宇宙を理解し
リンクが繋がったことなのか。



「コズモグラフィ」によると、フラーの言では地球は月とランデブーしながら


太陽の周りを周回している。


私たちは地球は毎年おなじ所を通過し、同じ軌道を周回していると思われがち


だと思うが、実際はその回転の軸たる太陽自体が銀河系の中心を軸とした


回転軸を回っているので地球は螺旋を描きながら宇宙空間を移動していると


も言えるのだ。


更に銀河系自体もビックバンでよく知られているように放射状に他の銀河系と同じく


宇宙の中心から離れていくように動いているので、その系から見れば更に地球は


もうひとつ動きがプラスされて複雑な動きを見せることになる。


これが相対性という考えなのかと思う。


さらにその幾重にも複合した動きを見せる地球という存在は自転しているので


それに乗った私たちはじっとしているだけでも、ある適切な系から見れば


超高速で複雑な運動を行っていることになる。


つまり観測を行う場としての系と観測される場としての系の選択で


同じ物体が同じ運動を行うように見えて、様々な異なった軌道を描くことになる


ただひとつの唯一絶対の基準なるものがないということになる。


これが相対性理論の言わんとしていることなのか。






これさえあれば、大概のことは上手くいくだろう。
これがなければ他に何があろうとも、自滅は常に傍らにある。



日々の自らの行為が他者(空間・時間的な)の生存・繁栄に
最大限多くの人達に寄与しているかどうかで
精神的な安定が得られるだろう。
少なくとも地球上の互いの影響しあうリンクを理解しなければ
操縦を誤るのは間違いない。




あまりに確信に迫りすぎた意見の表明は

ただただ反対もされず、静かに黙殺されるもの

知らなければよかったのかもしれないが

知るだけでも意義があることもある

たくさんの事をあきらめることになるかもしれないが

得がたいものを得ることにもなる

あまりに真実に自らを度外視して述べられた概念は

それを認めた者自らが己の生き方を問い続けることを強いる






金がなければ、もらう相手の言いなりになる
この反応はまるで動かし難い物理法則のように私達の脳内に
刷り込まれてはいるが、法律という建て前はそうではない。
その建て前をよく知れば、それを利用してお金がなくても
権利を主張できる。もし10人に1人の割合である程度の法律知識を
理解し、その権利を行使しだせば間違いなくその建て前は
機能しなくなるだろう。
それも革命と呼べるだろう。




フラーのことを知ってから、「テクノロジー」という言葉に今までとはちがう


興味と印象を持たざるをえなくなっている。


 


wikiの「テクノロジー」の項目を読むと、「人類の歴史って結局「テクノロジー」の


発見、発展のログだよなあ・・・・・・」と思ってしまった。


 


アレキサンダーやカエサルやオクタウィアヌス、始皇帝や劉邦、チンギスハーン、徳川家康・・・・


歴史の覇者や為政者とかの偉業も地球の外からみれば、研究室でのシャーレの中の培養した粘菌の移動や


消滅ぐらいのことなんだろうか・・・・・・・


 


なんにせよ、個人が豊かに生きるためにはその人なりの「テクノロジー」を増やすべく


行動して行動して、試行錯誤して、あれがだめなら、こっちを試し、これがだめなら何でダメなのか


原因を考察し、解決策を仮説設定して、実験して確かめて、また考察して確かめて行動して、


仮説を組んでってやっていくことなんでしょうね。


 


そんなこんなでジタバタするたびに実は、その個人の経験が増え、その経験に比例して適切な


その人の状況に適合した、ユニークなテクノロジーが蓄積し、その事イコール富の増加なんだろうなあ・・・・・


とツラツラ考えてしまいました。





他の存在にとって有意義で社会全体にとって「富」を増やすベクトルに寄与する行為は


その行為を行ったものに「報酬」を払うらしい。


 


貨幣だけにもちろん限らないが、今日の命を繋ぎ、健康を保ち明日につなげるためのリソースは全て


富の一部だと思う。


フラーが言うには形而下の「物」だけでなく、実は富の本質は自然にある「物」を人間の生活に


役立つように作成するノウハウ「形而下の概念」こそ富の本質だという。


 


そして「富」がそうなら試行錯誤しながらでも、とにかく行動し、経験を積むことが


「富」を増やす行為に他ならないともとれる。


 


その経験を振り返り、分析、考察、改善していくプロセスも「富」を増やす行為そのものだとも思える。


 


私達はすでに億万長者になるパスを持ちながら、それを使わずに震えているのかもしれない。