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広島県になんと日本人で唯一?といっていい、フラーの晩年に深くかかわった梶川さんという人が


いるということを知りました。



私も但馬という中山間地の見本のようなところに住んでいますが、梶川さんも広島の郡部で生活しつつ


いろいろな試みをされているそうです。



一度お会いして、お話をきいてみたい方のNo1かもしれません。


フラーの著書の翻訳者でもあります。





フラーの主張の一つにプリセッションがあります。
これは例えばミツバチが花に蜜を求めて渡り飛び廻るとき
同時に花の受粉をミツバチの物理的移動によって成し遂げること
があげられます。
ミツバチの利己的な行動が図らずも自然界の植物の繁殖になくてはならない
一つの工程を受け持っているとのことです。
そしてこの効果がいわば始めの行為に対して直角とも言える
向きに他の存在に対して働きかけているというということ、
そしてこの世界は無数のこのプリセッションな働きによって
当事者には図らずもデザインされて保たれているという事実のことです。

フラーの非凡なところはこの副次的とも言えるプリセッショナルな
働きこそが自然=創造主とも言える存在の意図し、世界に働いている
法則であると考え、逆に自然が求めるデザインに沿った働きを
か弱い個人でも引き受け、意図的に主体的に起こしたならば
モーターの駆動軸を回せば逆に電気が発生するように
その個人とその扶養家族が生活する糧を他の誰も与えない場合に
偶然ともいえる形にでも与えるだろうと考察し、実際に自分の人生を
丸ごと実験に使い、成果を上げたことだと思います。
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但馬の風景は常に山と谷間なのだが、そこには朝と夕暮れには
大抵霧がかかっている、霧はとても不思議だ
いつも山の中腹から上に立ち上るようにたなびいている。

おそらく、太陽光と草木の呼吸による水蒸気と放射冷却、そして
沢という地形の効果が相互に関係していると思う。



通勤途中の車の中でいつもふと物思いに捕らわれている、霧は不思議だ。



梶川氏のWeb講座を受講するか、かなり迷ったが止めた。


今の自分の状態では、あまりに影響を受けすぎるように思った。


ある意味、恐怖があったのだと思う。





しかし、興味はあるので「コズモグラフィー」



コズモグラフィー―シナジェティクス原理/R.バックミンスター フラー



¥6,090

Amazon.co.jp


を購入して読んでいる。





私は数学を高校のおりに苦しんで、お手上げだった人間だが、理科は好きで


科学には興味があった。





そんな人間にも理解しやすいように人間が経験しやすい、知覚しやすい


具体的なモデルで総合的に説明してある分、理解しやすいと思う。





そうはいっても大部分分からないが、基本的な中学の数学の用語の


理解の不足原因だと思うので、平行して少しずつ復習して読んでいこうと思う。









現在まで続く科学技術の進歩と、それに追従する産業技術の進歩の


等比数列的向上は、2008年までの膨大な世界的な信用創造


(通貨の発行)にも関わらず、その通貨の富への引き換えを可能にしてきた。


紙幣の使用に対応した量の富が手に入れられていたわけだ。


しかし、これからはその市中へばら撒かれた通貨を回収するための


これまで歴史上繰り返されてきた、憂鬱な行為が再開されている


サブプライムショックはただその幕開けに過ぎない。


権力機構の者達は自らの勘定にある分の金は引き当てて


大衆の金を不当りにしようと、これからいよいよ準備してきた


意図的なパニックを起こそうとするだろう。


しかし、自然に自らが働きかけて得られる富には意図的な不当たりは


ない、様々なトラブルはあるがそれを前提に私達の先代達は


技術を組立て、生命を保ち次代につなげてきたのだから。





つまり、地球が出来てから地球全体の原子の種類と量はほとんど変わらず


それを組み替えた生命というものがそれを使い、様々に変化したように見えるが


レゴブロックの数と種類は変わらないということだ。


だからこそ、バックミンスター・フラーは放射性元素を分解させてエネルギーを


得る原子力をその事故や汚染とは別の意味で反対したのだろう。






人を相手にせず、天を相手にする。


なるほどと思う。

気持ちのつかえがなくなり、スッキリ通った感じになった。
気が楽になる。



クリティカル・パスに出てくる、ジオデシディックドームの
更に進化形として、社会的公共インフラとしてのシェルター(住居のみならず、野菜などの植物を栽培する
場としても利用でき、太陽光をフルに活用する、人間の自活
を独立的に成し遂げる機器)として出てくるのだが
日本語でググッてみると空恐ろしいほど情報がない。

ただ、「蠅の目」という意味を検索して初めて知った。

この程度の知的レベルの者でもフラーの提言は励起させる力がある。

皆さんはどう感じただろうか?




フラーのことを知ってから、「テクノロジー」という言葉に今までとはちがう


興味と印象を持たざるをえなくなっている。


 


wikiの「テクノロジー」の項目を読むと、「人類の歴史って結局「テクノロジー」の


発見、発展のログだよなあ・・・・・・」と思ってしまった。


 


アレキサンダーやカエサルやオクタウィアヌス、始皇帝や劉邦、チンギスハーン、徳川家康・・・・


歴史の覇者や為政者とかの偉業も地球の外からみれば、研究室でのシャーレの中の培養した粘菌の移動や


消滅ぐらいのことなんだろうか・・・・・・・


 


なんにせよ、個人が豊かに生きるためにはその人なりの「テクノロジー」を増やすべく


行動して行動して、試行錯誤して、あれがだめなら、こっちを試し、これがだめなら何でダメなのか


原因を考察し、解決策を仮説設定して、実験して確かめて、また考察して確かめて行動して、


仮説を組んでってやっていくことなんでしょうね。


 


そんなこんなでジタバタするたびに実は、その個人の経験が増え、その経験に比例して適切な


その人の状況に適合した、ユニークなテクノロジーが蓄積し、その事イコール富の増加なんだろうなあ・・・・・


とツラツラ考えてしまいました。





他の存在にとって有意義で社会全体にとって「富」を増やすベクトルに寄与する行為は


その行為を行ったものに「報酬」を払うらしい。


 


貨幣だけにもちろん限らないが、今日の命を繋ぎ、健康を保ち明日につなげるためのリソースは全て


富の一部だと思う。


フラーが言うには形而下の「物」だけでなく、実は富の本質は自然にある「物」を人間の生活に


役立つように作成するノウハウ「形而下の概念」こそ富の本質だという。


 


そして「富」がそうなら試行錯誤しながらでも、とにかく行動し、経験を積むことが


「富」を増やす行為に他ならないともとれる。


 


その経験を振り返り、分析、考察、改善していくプロセスも「富」を増やす行為そのものだとも思える。


 


私達はすでに億万長者になるパスを持ちながら、それを使わずに震えているのかもしれない。