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私がこう考えるのも、あなたがそう考えるのも

人類の歴史の中で、意味がある

私がこう書き込むのも意味があるし、

それを読んで、あなたがそう考えるのも意味がある、人類の全体としての

みな、生きている義務を果たすべきだ、人類の一員として、その未来への


発展の可能性を担う一部としての個人の責任として
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今日、日本でおそらく数千人が死んだ




いつまでこんなことが続くのか?

気持ち悪い、あまりの醜悪さに体中の力が抜ける
吐き気がする

木々の生命活動で光合成には、根から幹、幹から枝そして葉までの導管による
水の流れはかかせない。

葉まで来た水は表面から蒸散して空気中に放出される。

山の森の木々から放出された水蒸気の量は膨大だ、この現象をフラーは
木々が空に水を返していると言った。

その水は雲を形成し、やがて雨として地上に落ちる、そしてまた木々を通して
空へと水は昇り、循環する。

霧はその働きを私達の目に見えるように知らせてくれる。

そしてその木々の働きは森の中を一定の範囲の湿度に保つ働きをする。
それは落ち葉を分解する微生物群にはなくてはならない条件だ。
木々は木々の生きるための全方位の活動の触手を張り巡らす、微生物もそうだ。
その生きるための探索の経路が互いに支え合い、たがいの経路の一部となる循環が
発生する。

その互いが互いの一部となる循環は、その探索を行う主体が多ければ多いほど、
複雑にそして、大きく太くなる。

砂漠ではその探索の枝、その探索を張り巡らす主体が極端に少ないので、自然と
その循環はか細く、少ない

人為的な行為のない(=自然)ところで互いに互いがより合わさるシステムが
シナジェティクスだと思う。

バックミンスター・フラーの「クリティカル・パス」を読んだのが3年前だったと思う

それから、その読書経験をどう自分で扱うか、決めかねてその大きな岩のようなものの
周りをグルグルあてどなくさまよっていたのが、この3年だったように思う

それでも毎日、どこかにフラーのことが頭の中にあったのだ
その事実を振り返ってみると自分でも滑稽とさえ思える

無かったことにして立ち去ることもできず、かといって直に手に取ることもしない

太陽の周りの惑星のように常にグルグルとその周りを周回しているのだろうか

ただのまだ生き残っている子供じみた自我拡大の欲求なのだろうか
ただ、ダイレクトに関わるということは、通常の自我の拡大欲求を満たすこととは
正反対のベクトルになるということは分かる

私には、現代の経済学というものは、中世ヨーロッパのキリスト教の宗教システムと
非常に似通っているように思う。

神の愛と摂理を説きながら、その実、人々の真理への探求を抑制し自らの搾取体制を
維持、正当化することに腐心し、そのための理屈を構築することに膨大なリソースを
振り向ける。

現代の経済学もまた、今の構造の真の姿を隠蔽し人々の目を逸らすために膨大な
リソースを費やして、複雑な理屈を生産することに必死なのだから。
さしずめ現代の経済学者とやらは、中世の神学者と同じなのかもしれない。

資本主義とやらは、確かに現代における中世暗黒時代のキリスト教と同義だ。