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空間の構成の最小単位たる四面体は張力だけでは
成り立たないのではないか?
辺は張力だけではなく、斥力としての「力」が働いているはずだ。
だからこそ空間が構成できるのではないか。



シナジェティクスでは円も球も形而上の存在だということだ。

つまり想像の産物だった訳だ、だから円周率は永遠に割り切れない
その理由が分かった。

ある空間を区切るための最小単位が四面体以外に論理的に
考えられない以上、円も球も実在しないということになる。




経済って衣食住に使うものの量



一昨日の大雨はかなり大きな爪跡を残したようです。
川の近くの堤防や民家で浸水した家も所々見られました。






私たちは今までの人生のなかで膨大な空気と食料をとり、




それを排泄してきています。




 




毎日、原子や分子レベルでみれば私達の体は入れ替わり続けています。




 




あのあこがれていた人や、店でたまたま隣あわせた人、あの政治家や




タレント、偉人と呼ばれた科学者や発明家、今吸った空気の分子は




その人達の体に過去取り入れられ、体の一部とされていたものかもしれません。




 




それどころかあなたの指の爪に視線を落とせば、その体の一部を構成している




細胞の原子は過去この地球(宇宙)のどこから来てどんな場所のどんな物体




どんな生物、どんな人物の体の一部となったことでしょう。




 




そう考えると輪廻転生や、人間も自然の一部という言葉も単なる絵空事とも




軽くいえない気分になります。




 




私を私たらしめているものは「マインド」としか言わざるをえない、そんなことを




ふと考えました。







私がフラーのことを知った本で、衝撃を受けた本です。


 


Amazonのレビューには「この本を人生の早い時期に読むことが、その後の読書の節約になる」と


あったんですが、このレビューを書いた人はキャッチーで非常に本質をついた文章を書く人だと


思います、私も全面的にこの意見に賛成です。


 


ただ、初めて読んだときはあまりに密度の高い情報量(情報量とはたしかクロード・シャノンの


情報工学の定義ではいままで知らなかった情報こそ「情報」としての価値があり、量として


計測されるべきものとかいう意味の文章を読んだことがありますが、その意味に照らすと


ほとんどの人にとってこれほど「未知」の情報を含んだ書籍もないのではないかと思います。)


に圧倒されて、自分ではかなりの本の虫と自負していたんですが、頭が痛くなりました。


 


この本はサラッと流して終わりというものではなくて、何度も何度も読みかえして


意味をその都度理解していくべき本だと思います。


 


実際、この本を読んで1年以上経ちましたが、今だに「こういう意味だったのか!」と気づかされる


内容でいっぱいです。


 


それにこの本を読んでしまうと、巷に溢れているレディメイドのマスコミニュケーションへのめりこむことが


以前のようにはできなくなってしまいました。


 


映画・テレビ・ポップス・雑誌・新聞etc・・・・・・・虚しくなってしまいます。


 


しかし、また「お金」がたくさん欲しい、通貨をたくさん持った生活をしたいという欲求は捨てがたくあり


また、その考えを捨てるのは死の恐怖に匹敵する強固さを自分の中に感じます。


 


そんな自分の心に気づくにつれ、バックミンスター・フラーの生き方に驚嘆という言葉でも形容しきれない


感情がそのたびに沸き起こるんです・・・・・・・・・・


 


しかし、気づいてしまったからには以前の自分には戻れない、そんな本です。






フラーのことを知ってから、「テクノロジー」という言葉に今までとはちがう


興味と印象を持たざるをえなくなっている。


 


wikiの「テクノロジー」の項目を読むと、「人類の歴史って結局「テクノロジー」の


発見、発展のログだよなあ・・・・・・」と思ってしまった。


 


アレキサンダーやカエサルやオクタウィアヌス、始皇帝や劉邦、チンギスハーン、徳川家康・・・・


歴史の覇者や為政者とかの偉業も地球の外からみれば、研究室でのシャーレの中の培養した粘菌の移動や


消滅ぐらいのことなんだろうか・・・・・・・


 


なんにせよ、個人が豊かに生きるためにはその人なりの「テクノロジー」を増やすべく


行動して行動して、試行錯誤して、あれがだめなら、こっちを試し、これがだめなら何でダメなのか


原因を考察し、解決策を仮説設定して、実験して確かめて、また考察して確かめて行動して、


仮説を組んでってやっていくことなんでしょうね。


 


そんなこんなでジタバタするたびに実は、その個人の経験が増え、その経験に比例して適切な


その人の状況に適合した、ユニークなテクノロジーが蓄積し、その事イコール富の増加なんだろうなあ・・・・・


とツラツラ考えてしまいました。





他の存在にとって有意義で社会全体にとって「富」を増やすベクトルに寄与する行為は


その行為を行ったものに「報酬」を払うらしい。


 


貨幣だけにもちろん限らないが、今日の命を繋ぎ、健康を保ち明日につなげるためのリソースは全て


富の一部だと思う。


フラーが言うには形而下の「物」だけでなく、実は富の本質は自然にある「物」を人間の生活に


役立つように作成するノウハウ「形而下の概念」こそ富の本質だという。


 


そして「富」がそうなら試行錯誤しながらでも、とにかく行動し、経験を積むことが


「富」を増やす行為に他ならないともとれる。


 


その経験を振り返り、分析、考察、改善していくプロセスも「富」を増やす行為そのものだとも思える。


 


私達はすでに億万長者になるパスを持ちながら、それを使わずに震えているのかもしれない。